教室の歴史

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年表

岡山大学泌尿器科教室は2023年で110年を迎えました。

大正2年 (1913) 7月 筒井八百珠教授が岡山医学専門学校(現:岡山大学医学部)に皮膚病花柳病科を開設、初代教授に就任
大正10年 (1921) 4月 中川小四郎が第2代教授に就任
大正11年 (1922) 4月 皮膚科泌尿器科学教室へと改称
大正12年 (1923) 4月 大森大亮が第3代教授に就任
大正13年 (1924) 4月 皆見省吾が第4代教授に教授就任
昭和6年 (1931) 4月 根岸博が第5代教授に就任
昭和30年 (1955) 5月 大村順一が第6代教授に就任
昭和36年 (1961) 4月 泌尿器科学教室として分離
昭和43年 (1968) 1月 新島端夫が第7代教授に就任
昭和52年 (1977) 11月 大森弘之が第8代教授に就任
平成10年 (1998) 4月 公文裕巳が第9代教授に就任
平成27年 (2015) 4月 那須保友が第10代教授に就任
令和4年 (2022) 12月 荒木元朗が第11代教授に就任

岡山大学医学部は、明治3年(1870)4月に岡山藩医学館が創立されたことに始まる。その後、岡山県医学校を経て、明治21年(1888)4月、第三高等中学校医学部となる。明治34年(1901)4月、第三高等学校医学部は第三高等学校から分離し、岡山医学専門学校となった。大正11年(1922)4月、岡山医科大学となり、昭和24年(1949)5月、岡山大学に包括され、岡山大学医学部となった。

岡山大学泌尿器科学教室は、大正2年(1913)7月、筒井八百珠教授が、岡山医学専門学校校長として、第一高等中学校医学部(千葉)から転任、同年11月に皮膚病花柳病科を開設したことに始まる。大正10年(1921)4月、中川小四郎教授が講座を担当することとなり、大正11年(1922)に教室名は皮膚科泌尿器科学教室と改められた。しかし、中川教授の在任期間は短く、大正12年(1923)9月、大森大亮助教授が代わって主任となった。大正13年(1924)10月、大森助教授に代わって、皆見省吾教授が講座を受け持つこととなった。なお、大森大亮助教授は、大正13年(1924)12月教授に就任し、大正14年(1925)3月に退官した。皆見教授は、昭和6年(1931)4月に九州帝国大学教授に転任した。

昭和6年(1931)4月、東京帝国大学より、根岸博教授が就任した。昭和30年(1955)3月に定年退官するまでの24年間、皮膚科泌尿器科学教室を主宰した。根岸教授の専門は泌尿器外科であり、皮膚科泌尿器科学教室の中で、泌尿器科が主体になる傾向が顕著となった。昭和30年(1955)5月に大村順一教授が就任した。医学界の専門化の気運に沿って、昭和36年(1961)4月、皮膚科泌尿器科学教室は、泌尿器科学教室と皮膚科学教室に分離し、大村教授は泌尿器科学教授となり、皮膚科学教室には、信州大学より谷奥喜平教授が就任した。昭和43年(1968)1月、東京大学より新島端夫教授が就任。新島教授は、昭和52年(1977)4月に東京大学教授に転任した。昭和52年(1977)11月、川崎医科大学より大森弘之教授が就任した。平成10年(1998)4月より公文裕巳教授が就任した。 平成27年(2015)6月より、那須保友教授が就任した。那須教授は令和5年(2023)4月より岡山大学学長に就任し、現在も学校運営に尽力してくださっている。令和4年(2022)12月より、荒木元朗教授が教室を主宰し、現在に至っている。

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